いつか朝日が昇るまで

子育て、受験からビジネス、夫婦関係まで日々考えたことなどを紹介するブログです。みなさんのこれからの人生のヒントになればと思います。

「家族的なるもの」とネット社会~東浩紀氏の記事を読んで

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久しぶりに東浩紀氏の文章を読んだ。そしてとても面白かった。そう言えばネットの文章を読んで何か物事を考えるということは久しぶりのような気がした。すでにネットの世界は情報を得る場であり、考えを深める場ではなかったのかもしれない。

私の場合は考えを深めるのは本や雑誌などの紙媒体。一度ネットも考え深める場として利用していたが、現在は紙媒体に移っている。そういう意味では東氏の言うように「はてな村」が元気だったころは、ネットの記事を読んで考えるということが頻繁にあったかもしれないと思ってしまった。

この記事は東氏の記事をもとに私の考えを述べていくことにする。私も会社経営に関わることになり、東氏の結論に共感した。それでは進めていこう。

blogos.com

ネットの世界、特にSNSはオワコンなのか?

ネットの世界、特にツイッターは何回もオワコン宣言が出されている。それはいろいろな人が言っているのでよく目にしていた。東氏も以下のように指摘しており、ネットやSNSで世界は変わらないとしている。

実際、2000年代は僕も30代で、若い世代とネットの力で世の中を変えられるんじゃないかと思っていた。テレビでそんなことも言ったりしました。ところがそれはダメだった。少なくとも、そんな単純な話じゃないということがわかってきた。その中で、僕自身、元気のいいことを言うのではなく、もう少し深く足元を見つめる方向に変わっていきました。 

それどころかネットは人間を窮屈にしていると述べている。これはネットに対して期待しすぎていたと思う。所詮はプラットフォームである。プレイヤーが変わらないのに、場所が変わっただけで世界が変わることはないだろう。インターネットは人間を変えない。それどころか人間の能力の差をより際立たせているように見える。

SNSは人々の生活を窮屈にしている。インターネットを使っても、人間は全然賢くならない。むしろ愚かな部分が増幅されていくだけ。当たり前ですが、世の中を変えるためには、まず人間を変えなければいけない。新しい技術が来たから新しい世の中が出現するというものではない。そんな非常にシンプルなことを感じ続けた10年でした。

そしてインターネットもSNSもお金を集める場として機能している。もちろんお金を集めることが悪いわけではないが、インフルエンサーをはじめ、集金の道具としてSNSを使い始め、それがうまく機能している。それが原因か分からないが、ツイッターオワコンという人を見かけなくなった。集金が上手くいっているのかもしれない。

今はプラットフォーマーもコンテンツを作る人たちも、とにかくリアルタイムで瞬時に沢山の人に共有されるものを目指している。そして、スケールさせてお金を集めようぜという話しかしない。これだと提供できるものの質が限定されてきますね。

ブロガーたちの存在意義

私のはてなブログは2013年スタートであるが、FC2でもブログを書いていたので、すでに10年ぐらいになるだろうか。その前にも書いていたが、そちらはデータがすでにない。そこから数えるとすでに15年ぐらいになるかもしれない。

私自身、マネタイズも否定していないし、広告も貼っている。しかし、アフェリエイトサイトに特化しているというよりも書きたいことを書いている感じではある。それで最近勉強させていただいているクロネさんの「雑誌ブログ」という考えに共感し、それを意識して書いている。

kurone43.com

 

www.gerge0725.work

そのため東氏のさす「ブロガー」の定義からは外れてしまうかもしれないが、お金を稼げなければブログを続けないかというとそうではない。一時期、忙しくて中断していたが、やはり書いていると楽しい。

個人的に研究を諦めたのも影響しているかもしれない。自分が考えを書く場を欲しているのかもしれない。そう考えると、こんなものがマネタイズできるわけがないのだが、「こんなバカなことを考えて生きている奴がいる」ということを残したいという思いはある。

確かに私が読んでいた多くのブログは更新が止まっている。今はどうなっているか分からない。彼らもマネタイズを全く否定していたわけではないが、アフェリエイトに特化したブログでもなかった。そうした人たちが消えていくのは確かにさみしい。

つまり、ブロガーたちを育ててくというか、維持していくというのは、ネットのサービス作ってあとはお任せではダメだったんだと思うんですよ。ブログ論壇のコミュニティを育てる企業や人がいなかった。受け皿がなかったということですね。

(中略)

そもそも論壇的なものとか、社会をよくするための議論とか政治とか、そういうものは簡単にマネタイズできるものじゃないでしょう。それは皆最初から知っているはずですよ。お金ではない価値があるからこそ、古来続いてきたものなんです。だから、そのお金ではない価値をどうやって今のネットとかメディアの環境の中で提供し続けるか。それこそが大事だと思います。

ところが、そこの部分をなぜかみな考えなくなってる。「儲かることが正しいこと」みたいに思ってる人たちが多いですね。

ネットで行われる議論とは

それではてなでは議論が成立していたという話も出てきているが、確かにそうした面もないわけではない。それは見ていても楽しかったが、議論の本質である。私たちの考えが深まったのかと言えばそうでもないというのが正直なところだ。そういう意味では議論=論破することが目的であるのは、どの「場」でも変わらないと思っている。

今のネットでは、この根本のところが忘れられて、とにかく論破すればいいということになっている。裏返せば、いま重要なのは、ネットサービスの中でどうやってコミュニティ感とか時間というのを回復するかってことですね。

「家族的なるもの」の存在意義

SNS瞬間芸で、文脈すらもつながりはない。いや、つながりを意識しない。フォロー、フォロワーの関係も大変緩やかなものである。そうするとそこに虚しさを感じてくるのかもしれない。私も一人暮らしの時は寂しさを抱えていたが、家族的なものはとても嫌だった。

人から干渉されたくはないが、人とのつながりは維持したいと考えた時に、ネットは確かに素晴らしい。「承認欲求」を満たしてくれる部分もネットにはある。しかし、そのつながりは大変脆く、壊れやすいのは確かだ。そこで「家族的なもの」が登場する。

ただ僕としては、現実の家族の経験も大きいんですが、それとは別に、ゲンロンという組織を作っていく中で、家族的原理で組織を作るのが一番サステナブルなのではないかと思ったところもある。

(中略)

家族って別に何も理念とか趣味とか共有していない。それぞれ全然違う職業を持っていて、年代も違ってて、人生も違う。ただ家族だから、しょうがないからというのもあれだけど、いっしょにいる。定期的に集まる。家族とはそういうものだと思います。なので、テンション低めに維持できて、しかも多様的なものを入れるモデルとしては、サークルモデルよりも家族モデルのほうがいい。

会社をやっているとテンションが高い人たちもいる。「これで○○円儲けましょう!!」みたいなノリは正直嫌いだ。そういう意味では東氏の提示する「家族モデル」はとても納得した。確かにそうだと思う。みんな違う人生を生きているし、仕事に対するスタンスも違う。その方向が揃う必要はない。でも何となく一緒に仕事をしているのである。

下品という感覚が重要なのかもしれない

ネットと現実世界の差は無くなってきているかもしれない。SNSを使ってリアルのビジネスとつなげていくのはマネタイズの手段としては常識となっている。それは全く否定されるべきではない。

そこで必要なことはマネタイズを禁止させたり、行き過ぎたアカウントをBANさせることではない。必要なのは個々人の「あのやり方は下品である」という感覚だと思う。リアルのビジネスでもグレーゾーンでビジネスしている人はいる。「法的には問題ない」と彼らは言う。

でもそのやり方は「下品」なのである。そうした感覚がネットだけでなく、ビジネスにおいても大切にされるべきであり、それがよりよい社会を作っているのではないかと思っている。「家族的なるもの」が唯一共通しているのは「下品」の感覚ではないだろうか。

まとめ

何を書いているのか、よく分からなくなったが、東氏のコラムを読んで、ネットもリアルの世界も変わらないと思った。そしてそうした現状の中で、人はどう生きていけばよいか。「ゆるいつながり」というよりも「家族的なるもの」の方が、生きやすい社会になるのかもしれないと思ったのである。私が関わっている会社もそうなれば良いなと思う。

 

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