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「人のために生きなさい」~祖母の影響が色濃く残っているというのを実感した話

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祖母が亡くなってから10年以上が経ちます。それだけ経っていても、ふと祖母のことを思い出すことがあるんですね。祖母を思い出すのは、自分がなぜこういう考え方をするようになったか、その原因を考えていくと、そこに行き着くからです。

両親は今でも健在なのですが、あまり関係が濃い感じはしないんですね。というのも父親は休日がほとんどいなかったし、母親は頼りなく、ほぼ話をすることはありませんでした。

そうした中で濃密な関係を築いていたのは、祖母だったんですね。祖母は小学校で用務員をしていたので、そういう意味でも関係が深くなったのかもしれません。

そんな祖母を思い出すのはどういう時かというと、信じられないような人に会った時なんですね。「この人はなんでこんな価値観で生きてるんだろう」と思った時に、「そもそも自分はなぜこういう価値観になったんだろうな」と人生を振り返るんです。

その時に祖母が必ず最初に出てくるわけです。亡くなるまでは祖母のことを思い出すことは無かったですが、今は思い出すことが増えています。今日は皆さんやほとんど関係はないですが、そんな祖母の話を書いてみたいと思います。

 

戦争体験者であった今は亡き祖母

祖母は大正生まれなので、戦争体験者でした。戦争を体験した人はあまり戦争の話をしたがらないイメージがあるかもしれませんが、うちの祖母はいつも戦争の話をしてくれたんですね。空襲で街が焼ける様子を見てどう思ったかとか、戦争というのが一体何を日本にもたらしたのかということです。

いつも話の最後に来るのは、「戦争は絶対やってはだめ」という話でした。あとは人の役に立ちなさいというような話は多かったですね。そういう考え方を色濃く今も受けていて、だから政治の勉強なんて大学院でしてしまったんでしょうね。

空襲の時にライトが見えないように、ライトの周りに黒い幕を張ったりしたとか、そういう貴重な話をたくさんしてくれましたね。色々と口うるさかったわけですけど、思い出というのはいいものばかり残るわけですね。

祖父がどうしようもなかったので祖母はキャリアウーマンだった

祖母はですね、今でいうキャリアウーマンなんですね。女性なんですけど会社で役職についていたようです。また祖母は妾の子だったらしいですね。だから小さい頃からすごく苦労もしていたようです。
そんな苦労をしていたのに、結婚した祖父がどうしようもなく、酒ばかり飲んでたわけですね。祖父は戦争を体験してしまったので、そうなる人が多かったのかもしれないです。日雇いの仕事をしていて、給料もらってきたのに その日のうちに酒を飲んで無くなるみたいな感じですね。

そんなどうしようもない祖父がいたので、祖母は一生懸命働いていたんですね。もう働くのが好きすぎて、ずっと働いていました。キャリアウーマンというよりもワーカーホリックに近いかもしれません。

そんな感じだったので、意外と家で接してなかったのかもしれないんですけど、影響はかなり受けてるんですよね。なぜなのか思い出してもよく分かりません。

 

最後まで勉強していて偉いねと言ってくれた人だった

大学院で勉強していると、30歳ぐらいになるともういい加減に働けって言われること多いんですよ。でも祖母はずっと勉強してて偉いねって言ってくれたんですよね。そういう意味では勉強する意味というものに、田舎であり昔の人でありながらすごく気付いていたと思います。

 

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あと自分がすごく勉強したかったみたいなんですよね。でも当時の状況で、しかも女性で、妾の子でというのがあって、勉強させて貰えなかったんだと思います。小学校は出たのかな、その先はどうだったのかはわかりません。

本人はすごく勉強がしたかったんだと思うんですよ。それで息子にあたる自分の父親にも勉強してほしかったはずですけど、自分の父親は全然勉強しないタイプなので、勉強する孫を見てすごく嬉しかったのかもしれません。最後まで応援してくれた人ですね。

 

生前の祖母に会えなかったのが実家に帰らなかった唯一の後悔

家族との関係があまり良くなかったので、大学で関東圏に出てきてから、ほとんど実家に帰らなかったんですよね。それで全然苦にならなかったんですけど、まあ人間というのはいつ何が起こるかわからないもので、急に祖母は亡くなってしまったわけです。

祖母に会えなかったのは本当に心残りで、今回は実家に帰ろうと思った矢先に亡くなったんですよね。そういうこともあるものだなあと思うんですけど、本当に後悔したことのひとつです。最後にしっかり挨拶しとけばよかったなぁと今でも思います。

ちなみに祖父が亡くなった時は、そんなに泣けるようなこともなかったんですけど、祖母が亡くなった時はすごく涙が出てきましたね。たぶんいろいろと学んでいたというか、影響を色濃く受けてたんでしょうね。

祖母から教わったのは人のために生きること

では何を教わったのかと振り返ってみると、人のために生きることなのかなと思います。戦争は絶対よくないっていう人だったので、人様のために何かをすべきという考えはすごくある人でしたね。

自分の父親も祖母とは全然合わなかったんですけど、人のために何かしようという意思があるので、祖母の考えを受け継いでるのかもしれないです。非常に付き合いづらい 父親ですけど、優しい人だという印象が深く付き合った人にはあるようです。

人のために何かすべきだよっていうのは、思った以上に刷り込まれている感じがするんですよね。でも人のために何かして見返りを求めない姿勢とかは、常識ではないんだなというのはよく感じることです。

仕事でやるのであれば、仕事として受けるので対価をもらうわけですよね。でも人のために何かをする時に、対価は求めないわけです。でも人のために何かしているのに、やってやったのにという人もけっこう多いんですよね。


そういう人に出会った時に「おかしいぞ?」と思うんですけど、でもそういう考え方が普通なのかもしれないと思うようになって、何かてしてくれるっていう人に関しては、有料ですか無料ですかと必ず確認するようにしています。

あとで「いや実はお金がかかるんです」と言われると、びっくりしてしまうこともありますからね。でもそうした経験は仕事だけだったらいいんですけど、友達関係でも意外とあったりするので、難しいですよね。

自分は友達に何かする時に対価を求めるって事はなくて、友達のために何かするは自分が好きでやるからですよね。逆に言えば好きでなければ手伝わないし、やってあげないんです。だから手伝って文句いうみたいな人がいるのは、信じられないところがあるんですけど、言われたから仕方なくやったっていう考え方があるんでしょうね。

話をちょっと戻すと、自分は人のために何かできたかなっていつも思ってしまうんですね。もちろんお金稼がないと生活できないんですけど、お金以上の何かがないとつまらなくなってしまうわけです。

中には「人のため」と言いつつ情報商材を売りつける人もいるので、そういう人に騙されないようにすべきですけど、もう少しね、人のために何かしようというふうに思ってもらえるといいなと思います。

自分は祖母にそういう教育を受けてしまったので、そういう「人のため」っていうことを強く感じてしまうんですね。そういうことを思い出す時に、いつも祖母が出てくるなという話でした。

 

最後に

10年も経ってこんなこというのは何ですが、最後に会えなくて悪かったなと思います。年齢を重ねてくると、別れが増えてくるんですよね。単なるは別れではなくて、相手が亡くなってしまうということですね。

後悔しないためにも、会える人には会っておかないといけないし、いろいろな人にお礼を言っておかなきゃいけないなと改めて思いました 。三つ子の魂百までと言いますけど、本当にそうだなと思うお話でした。

 

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