いつか朝日が昇るまで

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「生き方」が「働き方」でのみ語られてしまう世の中

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最近、「生き方」の問題と「働き方」の問題というのが同じになってきている気がするんですよね。「生き方」をどうするというテーマに対し、「働き方」で語るということなんです。

「生き方」の中には当然ですが、「働き方」は含まれているわけですよね。
しかし「生き方」と「働き方」は一緒ではありません。でも最近「生き方」とは言わずに「働き方」という話になってしまうわけです。そんなのを考えたのは、以下のラジ先生のツイートそうだなと思ったわけです。 

 

 

 

多様な「働き方」は多様な「生き方」にならない

それで色々と考えてみたところ、今は「働き方」を多様化させましょう話になってますよね。正社員として生きるだけではなく、フリーランスであったり、副業をしたりすることもできるということです。

さらには時短で働くというのも「働き方」の1つだけですよね。このように「働き方」はさまざまあるわけですが、その「働き方」を選べるのはごく1部の人に限られています。

フリーランスで行きたい、時短で生活したいといっても、そもそも生活できなければその選択肢はあってもないようなものです。また副業も、会社が許可しなければできません。

このように「働き方」は多様になっているとしても選べないということもあるわけです。さらに「働き方」を多様化するという意味が、結局収入源を多様化させただけになっているわけですね。

副業は収入源を分散させただけ

副業で収入源は増えますが、トータルとして考えたら収入そのものが変わるということはあまりないわけです。だからこそ副業だと言われるわけですね。つまり「働き方」の多様化は、「生き方」を多様化させるに至らないわけです。

結局のところ、お金を稼ぐために違う仕事をしているだけなので、労働時間そのものはまったく変わりません。さまざまな場所で自由に働けたり、時間に拘束されないという「働き方」は、「生き方」を多様化させるに至らないわけです。

今まで会社に縛られた「働き方」はよくないと言って、脱社畜などと言っていた人たちは、「生き方」が多様化しているとはまったく思いません。結局別の手段でお金を一生懸命稼ごうとしているのです。

その稼ぎ方が情弱ビジネスのようになっていて、むしろ息苦しさすら感じます。会社員が社畜として縛られていると批判するわけですが、むしろ収入面で安定するという意味では、会社員の方が精神的な余裕を持って、豊かな「生き方」を選択できるのではないかと思います。

ただし会社員であっても、昔と違って安定して稼ぎ続ける事はできません。大企業といえども倒産する確率はありますし、40五彩以上はリストラなどという話もあります。

収入が安定しなければ、「生き方」を考える事はすなわち「働き方」を考えることと一緒になります。どのように働いて稼げばいいかということがメインになるわけです。

さらに80歳まで働けと言われてしまえば、もはや生きること=働く事になってしまいますよね。だからどう働くかが「生き方」そのものになってきてしまうわけです。

しかしラジ先生のさっきのツイートにもあるように、「生き方」は「働き方」そのものではありません。多様な「働き方」の前に、多様な「生き方」を認めなければなりませんが、現在の世の中ではそうした余裕がないと思うのです。

 

サラーリーマンの「働き方」の方が豊かな「生き方」だった?

さきほどのラジ先生のツイートに返信したんですけど、自分の父親の方が豊かな「生き方」をしたなと思うわけですね。家族としては、自分勝手な「生き方」だと思っていました。

しかし収入が確保されているため、家族は貧乏になっているわけではなく、その上で自由に休みをエンジョイしていたわけです。

本当に多趣味な人で、いろいろな趣味を持って週末を過ごしていました。週末のために働いていたようなものですね。そういう意味では、今の自分たちの「生き方」は全然違うんじゃないかなと思うわけです。

サラリーマンとして引退するまでずっと働き続けることが可能であるし、老後は厚生年金はじめ会社の年金も積み立てていたため、かなりの額がもらえているようです。
そうしたことが最初からわかっている以上、とくに働くことにがんばることもなく、自分の生活をエンジョイできるわけですね。こうした「生き方」は趣味に生きるということも可能にしているわけです。

そうしたいわゆる逃げ切りのような生活は、自分たちのようなロスジェネ世代では不可能だと思います。これからもずっと働き続ける必要があるわけです。

もはや働くことが「生き方」そのものになってくるわけですね。ほとんどの人生を働くことに費やすのであれば、よりよい「働き方」を選んでいくことが必要になってくるわけで、「働き方」が「生き方」だと言われても違和感が持てなくなってしまいます。

お金を稼がずに生活するという「生き方」もあると思います。しかし家族を持った上でそのような生活ができるかどうかというと、かなり難しいと言わざるを得ません。

 

「働き方」でしか「生き方」を考えられない社会で

このように「働き方」でしか「生き方」を考えられない社会において、どうやって生きていくのかということですよね。1つの傾向としては、「働き方」をより良くするという方法でしかないのでしょう。

「働き方」をより良くすることと同時に、自分がやりたい「生き方」というの考えようとも思うのですが、気づいたらどんな「生き方」をしたいのかがよくわからないというのが現状です。

今後子育てが終わっていく中で、ますます働くことだけが残ってくるわけですが、そうした中で自分が選ぶ「生き方」とは何なのか、まったく見えないんですね。

そんなの考えながらこの記事を書いていたら、結構びっくりしたところがあります。自分には何かしたいという「生き方」がないのかという驚きですね。どう働くかばかり考えていたら、どう生きていくかっていうのは働く中での「生き方」になっています。

仕事というものを抜きにしてどう生きるかというのは、ほぼないんですね。こうした話をきっかけにそういうことも考えないといけないなと思いますが、なかなか考える余裕はないですね。

でも仕事に関係ない、お金にもならないブログを書いたり、Twitterをしたりする事は、そうした「生き方」の1つなのかもしれません。

 

まとめ

「働き方」というのはよく議論されるし、いろいろなところで目にしますよね。「働き方」改革もその一つですが、一方で働くということ以外の事はあまりイメージできなくなってきたわけですね。

この状態ははたしていいことなのかと、ふと思いました。自分の父親はおそらく働くことよりも、遊ぶことの方をずっと考えていたでしょう。自分たちはサラリーマンではなく、「働き方」は自由に選択していいよと言われている中で、お金を稼ぐことがより難しくなり、「生き方」は「働き方」にかなり拘束されているかなと思います。

なんかそんな世の中だと思うと、ちょっと暗い気持ちにもなりますよね。しかし同じ時代を生きている人と、会える機会が増えているので、そうした中で明るく楽しく生きる瞬間を少しでも確保できていったらいいかなと思います。

 

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