いつか朝日が昇るまで

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誰かの応援をするという人生は自分が無いとは違うと思う

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ちょっと体調が悪くて昨日はブログを書いてないですが、またぼちぼち書こうかなと思います。今日は体調不良の中で色々と感じたことを書こうと思います。その感じたこととは「自分のためとは何か」なんですね。

私は自分のために何かしないとダメと言われることがあります。振り返ってみると、 自分のためというのが自分だけのためではないと思うんですよね。人を応援したり、誰かのために仕事をしたりすることは、自分のためになっていると思うんです。

 

人を応援するという人生

応援団というと体育祭のようなイメージがあって、でかい声で応援するイメージなんです。でも応援団っていうのは実は社会人でもるのですが、やっぱり応援団で制服を着て人の人生を応援するという形です。

そういう応援団という形ではなくて、他人をサポートするというイメージが大きいと思うんですね。やっぱりその人に成功して欲しいし、うまくいって欲しいと思えば応援するわけですよね。その対象は会社でも変わりません。

人を応援するっていうことが、自分にとってすごく意味があると感じていて、人間が一人でやれる事って限られてますね。いろいろな人が一生懸命頑張るから意味があるわけじゃないですか。頑張っている人に成功してもらうというのは、自分にとってもいいことですよね。

あと純粋にありがとうと言われると気持ちいいですよね。感謝されるために何かをするわけではないですけど、感謝されれば気持ちよい人生になるのは間違いないです。感謝のされ方にはいろいろあると思います。

ご飯を奢ってあげるとか、プレゼントを渡すとかそういうことも感謝されるでしょう。自分は人の人生に関わることで感謝されたら嬉しいなもうわけですね。ただ感謝されることを目的になると、あいつは何で感謝しないんだと怒る人もいるので、自分はとくに求めてはいないです。やっぱり頑張って成功していく姿を見るのが 嬉しいですね。

 

依存とは違う応援

人の人生を応援するという話をすると、他人に依存しているよねって言われることがあるんですね。その人が成功してくれれば自分も嬉しいわけですが、その応援は、別に依存しているわけではないです。

依存というと自分の人生そのものすべてが、その対象と同一視されるようになってしまうと思うんですが、応援はいろいろな人を応援できるんですよ。特定の個人だけではないんですよね。アイドルとかで特定の個人だけを追ってしまうとちょっと危険な人も出てくるのかもしれないですけど、自分はそういう感じではないです。

人の人生を応援したいという中に特定の人たちが入ってくるという感じですね。先に人が決まっているわけではありません。もちろん優先順位はあるし、誰をいちばん応援するかっていうのは決まるわけですが、応援することそのものが人生になっているので、仕事も応援する仕事で教育業になるわけです。

応援=無償というわけではない

応援というと無償のイメージがあるかもしれないですが、実際には返ってくるものがあるよね。ビジネスの応援はお金というものが帰ってくるわけです。他人に対する応援は、相手の成功が自分のことのように嬉しくなることですよね。

だからまったく何も受け取っていないってことはありません。そのためあまりにも無償を強調しすぎている人は怪しい人です。自分も金銭的な見返りをもらう場合もあれば、喜びを共有することで見返りをもらっていることもあるわけです。

でも人を応援するというのが信じられないという人もいて、やっぱり自分のためになんないと駄目でしょうと言われるんですね。しかし他人を置いておいて、自分のためだけになるものってあるのかなと思います。

 

ビジネスでも相手が見えることで応援できる

仕事も色々やってみたわけですね。クラウドワークスとかランサーズとかいいんですけど、顔が見えないとやりづらいんだなというのがすごくよくわかりました。会ってから仕事をはじめたりするわけですけど、この人ために仕事しようって思えないとしっかりできないなっていうことはわかったんですね。

その理由は、自分は応援することが好きだからでしょうね。人を応援することでどういう役に立つのかというのが見えないと、できないんだなという風に思いました。

また人の応援をするためには、自分の能力がないといけません。能力がないと応援もできないんですよね。そこにはお金も必要かもしれません。そのために自分を磨いていくんですけど、最終的には誰かの役に立つことをしたいと思うんですよね。こういう話をするとまず自分のためにその力を役立てないと言われて、いつも堂々巡りになってしまいます。

でも仕事って本来、相手のためにやることですよね。その仕事がいくらなのかというところでいろいろと考えなければいけないところはあるんですけど、人に役立たないことではお金もらえないので、そういう考えが仕事の全部の基本になるんじゃないかなと思います。

お金のためとか自分のためだったら、コロナのことでブログ書けという人はいるわけですよね。そんなの誰の役にも立たないわけじゃないですか。公式ページをしっかりと皆に紹介するだけでいいわけですよね。

だからコロナのブログを書いてしまう人って稼ぐとか仕事とかの基本線から逸脱しているわけで、それで叩かれるんですよね。

 

人の喜びを自分の喜びに変えるために

仕事をすることでお金もらったり、誰かに感謝されたりするんですけど、やっぱり喜んで欲しいなっていうのは本当にあるんですよ。ほんと無料でやることもあるし、安くても仕事することありますけど、その理由はこの人に喜んで欲しいからね。

その仕事が自分にとっての喜びでもあるので、自分の評価を高めるとか関心ないんですよね。自分が自分がってどうしてもならないわけです。そんな自分がおかしいのかなと考えてしまいましたね。皆さんはどう思いますか。

 

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