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私は「キモい」を追求する~「負の性欲」問題に思うこと

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皆さんは「キモい」と言われたことがありますか?我々の成長過程では「キモい」という言葉はあまり使われず、好みに合わないみたいな丁寧な断られ方をしていました。それは「生理的に無理」のレベルまで行く場合もあれば、「どうでもいい人」のレベルまで幅があります。

この「キモい」は年代によって差があると思うんですよね。今、小学生を教えていますが、彼らの日常会話で「キモい」が出てこないことはありません。もはや挨拶と化しています。

子どもたちは「お前キモいぞ」と普通に言います。「お前口が臭いぞ」とかそんな言葉も普通に使われています。現在、小学生なので、彼らも成長すると「キモい」が重みある言葉になるのかどうかは分かりませんが、現在、SNS上では「キモい」が炎上することもあるのです。

 

SNSで拡散される「キモい」

「自分に接近し、性的にアプローチしてきた男性を拒否(厳選)する」という枠を超えて、特にSNS上では「自分に向けられているわけでもない、無関係な他人の性欲を発見したさいに、まるで自分のことのように被害者意識を持ち、これを断罪しようとする過剰反応」が頻繁に起きている。それこそが、「負の性欲」が問題化される局面である。

 

gendai.ismedia.jp

結局これまで私的領域に押し込められていた「キモい」がSNSで拡散されると、それが公的領域で「キモい」の一般化として見えてしまうんでしょうね。本来ではあれば、私的な好みのひとつであったものが、公的領域では一般化する。

しかし、それはそもそも私的領域に属するものですから、その人がキモいかどうかという問題ではなく、「人のことを公的領域でキモいというのはダメだ」という議論になってしまうわけです。

つまり先ほどの小学生のように、友だち同士で「お前キモい」と言っている分には問題にならないのですが、それがSNSなどで拡散され、一般化されると「キモい」と言った人が叩かれるわけです。

しかし、その人が「キモい」かどうかの判定はなされません。その判定そのものは私的領域の問題だからです。そこで「俺もキモいものは感じるが、ここでキモいと言ってはダメだろ」と主張になってきます。

「キモい」の被害者だとされても救いがない現実

「キモい」の加害者から被害者への立場のシフトは、公的領域で「キモい」と言われれば被害者だけれでも、私的領域では許されているわけだから、そこに何の救いもありません。結局、「キモい」のです。

公的領域では「キモい」から守られても、いざ恋愛をしようとすると、「それとこれとは別です」みたいな断り方をされます。「そうだね、勝手に俺が勘違いしたね。別に好きでかばってくれたわけではないよね」となっていきます。

つまりSNSで「キモい」といった人も言われた人もそれは私的領域として受け取っているが、それを拡散する側は公的領域の問題として捉えるわけです。だから「あなたはキモいと言われた被害者だ」と擁護された人は、それも私的領域での発言だと考えるので、擁護されたことで「俺のこと好きかも」と思ってしまい、「そういうのがキモいんだ」と奈落の底に突き落とされることもあります。「なんか俺のことかばってくれるから、俺のことを好きなんだろう」で勝負して撃沈したことは内緒です。

つまり公的領域での加害者から被害者へのシフトは、本人にとっては何の意味もないわけです。はっきり言って、本人は置き去りの議論になります。

 

「キモい」の一般化がもたらすもの

現代社会はふたたび「一夫多妻制」への道を歩もうとしているのかもしれない。「キモい」存在は排除してもよいという「先進的な倫理観」に基礎付けられた、新たな一夫多妻制──すなわち、一生のあいだに多数の女性と性的関係をもつ男性たちと、一生生殖の機会が得られない男性たちに分かれる「非同期型一夫多妻制」の実現へと。

「負の性欲」はなぜバズったのか? そのヤバすぎる「本当の意味」(御田寺 圭) | 現代ビジネス | 講談社(6/6)

私的領域から解放された「キモい」が公的領域で一般化されると何が起こるかというと、「キモい」の基準ができるようになります。これまでは「あの人キモくない?」「結構私、好きだけど」となるところが、「みんながキモいと言っているあの人は、キモい人だ」となってくる可能性があります。

つまり「キモい」の基準が一般化されることで、それはこの記事の筆者が言っているような一夫多妻の方向に向かうのかもしれません。我々の社会は選択肢が増えています。しかし、選択肢が増えることは自由になることを意味していません。

我々は自由に結婚相手を選べるようになりました。親が選んだ相手と結婚したり、お見合いをさせられて結婚したりすることは少なくなりました。するとどうやって結婚相手を選んでいいか分からないのです。

結婚相手に求める基準は何か答えられますか。少なくとも初めて結婚する人が、結婚するための基準を自分で構築することは難しいはずです。どうやったら結婚がうまく行くか、いろいろと調べるでしょう。そうやって選択肢はどんどん一般化されて行きます。

「キモい」も一般化されれば、「こういう人はキモい人」となり、「そういう人たちはキモい人なんだ」と考えるようになるのです。そうした状況の中で、モテコンサルなどが登場し、「キモい」人を「モテる」人に変えようとしていくわけです。

しかし、「キモい」人をいくら「モテる」の領域で勝負させようとしても、そこには限界があるわけです。そもそも「モテる」人には勝てないわけですから。

 

大切なのは「キモい」の追求なのではないか

そうした社会において大切なことは「モテる」ことの追求ではありません。私のように「キモい」人間たちは「キモい」を追求するしかありません。その先にゴールがあるのです。

“抱かれたくない男”が、いまや愛されキャラの代名詞に。まさかお笑いタレント・出川哲朗が女性向け商品のCMイメージキャラクターになるとは……。

 現在もCM出演する花王のヘアケアブランド「エッセンシャル」のイメージキャラクターに起用されたとき、出川は「時代が変わった」とコメントし、自身でも驚きを示していた。花王は、出川を起用したのは「“コミュニケーションに一生懸命”“共感力がある”と、好感度急上昇で話題になっていること」が理由であると説明している(2018年8月)。

出川哲朗が女性の好感度上げた理由 「プライド無いから」?|NEWSポストセブン

まさか出川哲郎がと思うのではないでしょうか。花王ですよ、花王。彼の芸風は昔から見ていますが、何一つ変わりません。しかし昔はまさに「キモい」存在だったわけですね。それが今は女性の好感度が上がっている。

「キモい」と言われた人たちが「モテる」人たちと同じことをしても、ひとつの基準で勝負するだけですから永遠に勝てません。しかし、「キモい」を追求していったら、その「キモい」が「モテる」になる可能性もあるのではないでしょうか。

いや、もしかしたらそんなことにはならないかもしれません。しかし、自分も含めて、そういう道しか残っていないのです。誤解をしてはいけませんが、「キモい」を追求するのは、よりキモくなることを意味しているわけではありません。

今の自分を磨いていくということです。自分は自分でしかないわけですから、それ以上でもそれ以下でもありません。それしか進む道はないのではないでしょうか。

 

まとめ

御田寺さんの記事、面白かったです。ただこれは「キモい」だけに見られるものではないんですよね。SNSというものがあるがために、これまで私的領域に属していたものが、公的領域で語られてしまうんです。

そんな時代を生きている中で、もはやキモいと言われようが馬鹿だと言われようが、この道を進んでいくしかないかなと思います。自分は少なくともそうやって生きています。頑張ろう、俺。

 

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