いつか朝日が昇るまで

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敵か味方かはっきりさせないといけない社会は息苦しくないですか?

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今の世の中どうも生きづらいと感じませんか。そもそも何でこんなに生きづらいか考えていくと、仕事が大変というよりも、人間関係が大変だということが原因だと思うんですよね。

お金を稼ぐという意味ではいろいろな働き方ができるので、むしろ稼ぎやすい世の中だともいえます。

もちろんそれなりのスキルが要求されるわけですが、そうしたスキルを築き上げている人にとっては、お金を稼ぐことに関して、そんなに辛くないはずです。

金を稼いでいてもなんとなく生きづらいというのは、社会全体の停滞感というよりも、人付き合いの大変さなんですね。連帯感みたいなものが失われていっている中で、人付き合いが探りながらの付き合いになります。

SNSを見ているとわかりますが、敵か味方かという色分けを迫られているような感覚があるわけです。

 

SNSは敵と味方を顕在化させる

どうもSNSというのは敵と味方をはっきりさせるツールなんでしょうね。インフルエンサーの方々がアンチアンチと連呼するわけじゃないですか。つまりアンチは、敵を意味しているわけですよね。

それで彼らは「お前は敵かそれとも味方か」と迫ってくるわけですね。敵であるアンチは即排除。敵から学ぶべきものは何もないという話になるわけです。こうしたやり方が何故か一般の方にも反映されているように思えていて、常に誰と仲がいいのかとか、誰を支持しているのかとか、気にしないといけないんですよね。

こうした現象は311の時にかなり顕著になったんですよね。その時まではそんなにちょっとした違いでもめたりしなかったんですけど、あの時を境に敵か味方か判断しなくてはいけないとなったんですよね。

そうした分断が起こったのは放射能のせいなんですけど、Twitterの風景が一変したのを今でも覚えています。311以降、違いがあるということを受け入れるっていうことが、しづらい世の中のような気がするんですね。

 

リアルの世界にも持ち込まれる敵か味方か

Twitterの世界だけで敵か味方かという話がされているのであればいいんですけど、現実の世界でもそうした話が出てくるようになったんですよね。まぁ付き合い方がSNSのようになっているのかもしれないんですけど、敵だから付き合わない、味方だから付き合うみたいなのが先行しています。

本来であれば、いろいろ話し合ったうえで、その人と付き合うか付き合わないか決まるとは思うんですよ。さらに言えば、全然付き合えない人ってそんなにいないわけですよね。もちろん話してみたら嫌な面もあるし、受け入れられないところもありますけど、だから敵とか付き合わないとかにはならないわけです。

しかし最初に敵か味方かの認定をしてしまうと、もう受け入れられなくなります。意見が違うから受け入れないのはまだわかります。でも彼らは敵だから受け入れないとのです。よくいうアンチだから相手にしないという話につながるわけですよね。

こうしたことがインフルエンサーたちの話だけじゃなく、一般の人たちの、しかもリアルな付き合いにまで影響を与えてるんじゃないかなと思っているわけです。だから腹を割って話すみたいなことがすごく難しいわけです。

まず敵か味方か判断しなければいけないということで、腹の探り合いみたいなことが始まるわけですよ。本当に言いたいことには到達しない会話。あんまり面白くないですよね。味方は安心して話すんですよ。私は腹の探り合いみたいなのはもうめんどくさくてやりたくないので、余計に付き合いたくなくなってしまいます。

 

なぜ敵か味方かはっきりさせないといけないのか

それで敵か味方かはっきりさせることがなぜこんなに重視されるのかというと、味方だと安心するというのがあるんでしょうね。味方だったら許してくれるという感覚なのでしょう。

だから味方だけを集めて心地よい空間を作りたいと考えているのだと思います。ただそういうことをしていると、人間的な成長はほぼないと考えてよいでしょう。

こうしたことが起こるのは、共通の価値観が喪失しているからなんですよね。こういうことをしても誰も起こらない、みんなに受け入れられると思えば安心して行動できるんですけど、共通の価値観がないと不安になるわけです。

ということはまず自分が受け入れられる体制を作らないといけないです。そうした体制を作ることは、味方を作り、味方の中でだけ生活していきたいという考えにつながっていくのだと思います。

以前は敵も味方もあったとしても、同じサラリーマンであるとか、同じ日本人であるとか何か共通項があってそこで信頼できたんだと思うんですよね。共通の価値観からの解放は、人間を不安にさせてしまっているだと思います。

そしてそうした不安は勝ち馬に乗るという形で、見方が多い方へと流れていきます。敵か味方かっていうのを、さらに加速させていくわけです。中身が正しいとか正しくないとかは関係ないですね。そんな世の中のような気がしてなりません。

 

敵でも味方でもない人の存在が貴重なのだ

味方がたくさんいないと自分の意見が受けられないことはあるんですけど、敵でも味方でもない人っているんですね。というか本来はそうした人たちがほとんどはずなんですよ。ある程度共通の認識があった上で、敵とか見方とかではなくて話せる相手はとても貴重だと思うすね。

味方だとよい事しか言わなかったりするんですよ。逆に敵は悪い事しか言わないんですけど、この中間に位置する人たちが本来はほとんどなんです。でもそういう人もなぜか敵か味方かに分けようとしてしまうことで、どんどん自分も苦しくなっていくというわけです。

まず敵か味方に分けるのをやめましょう。ほとんどは敵でも味方でもありません。そういう人たちと明るく楽しく付き合っていくことで、世の中の息苦しさみたいなものは少しなくなっていくんじゃないかなと思います。そんなことを考えた金曜日の夜でした。

 

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