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多様性は育てるものではなくそこにあるもの

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多様性や多様化という言葉を聞くとモヤモヤすることが結構あります。そもそも人それぞれいろいろなものに属しているわけですから、そこから影響を受けるという意味ではすでに多様化しているわけです。

しかし多様化の際に、そうしたアイデンティティの多様化ではなく、意見や考え方の多様化しましょうとなって、なぜかそうした人間を育てるという方向に向かっていくわけですね。

そもそも多様な考え方や意見とは何かというと、人と異なる考え方をするとか、人と異なる意見をいうとか、そういう話になってくるわけです。そこでこの記事では多様化に関するちょっとした意見を述べたいと思います。

多様化の話をしようと思ったのは以下の記事を読んだからです。ご紹介までに。

 

個人の幸福は「お金」ではなく「不快なやつは全員ブロック」で実現される。 | Books&Apps

それが孤立を促すだけかもしれない

2020/01/09 23:50

そもそも多様性ってメリットじゃなくてコストなんですよね: 不倒城

アイデンティティはひとつではない

2020/01/09 23:51

 

 

多様性を育てるためにムリやり多様化しようとする

多様性つまり人と異なる意見や考え方ができるようになろうということで、そうした教育がさかんに行われるわけですが、人と異なるということが教育の目的になっているんではないかと思う時があるんですね。

人と異なる意見をいうことが目的となった場合、その意見は従来の考えとは全然違うことを言ったとしても、その意見は異なる意見として認められることを意味しています。
たとえば陰謀論などはその典型ですが、人と異なる事実を自分のみが知っていると主張するわけです。しかし一般の人たちに知れ渡るような陰謀論があるのかという疑問はありますよね。

周りの人は知らないけど自分だけ知っているというのが良しとされる社会というのは、ある意味危険だなと思います。まずは一般的な考え方を知った上でなければ、人と違う考えや意見をいうことなどできないのではと思うんですね。

多様性が人と異なることなら人と同じことを知らなければならない
まず基本的なことなのですが、人と異なるということを示すためには、人と同じことを知っていないといけないわけですよね。この事実は僕しか知らないことですよというためには、周りの人がその事実を知らないということを説明できなければならないわけです。

考えについても同じで、この考えは自分のオリジナルであるという場合は、他の人がその考えを知らないということを説明できなければなりません。しかし簡単に考えてみればわかりますが、ほとんどのことは誰かが考えていることです。

自分だけしか考えたことがないと思っていても、世の中にはたくさんの人間がいるわけですから、誰かしら同じことを考えているのは間違いありません。私も「この意見は自分しか考えてないだろう」と思っていたところ、あっさり他の人が同じ意見を述べたときには驚きました。

でもそうしたことは当たり前で、その程度の事は誰でも気づくわけです。だから新しいことを考え出すことは難しいわけで、ただただ新しいことをやろうとか、人と異なる意見を述べよなどというのは絵空事でしかありません。

日常においてもこのような感じなわけですから、時間を飛び越えて、たとえば過去の偉人たちに触れたりすれば、もっとその衝撃が広がります。自分が考えていたようなことは、すでに昔の人たちが考えていたとわかった時に、本当にその人はすごいなぁと思うのと同時に、過去の偉人と同じところに立てたと興奮するんですよね。

勉強というのはとくにそうなんですけど、人と違う考えや意見を述べようとすればするほど、違う意見や考えなどは述べられなくなってくるわけです。勉強すればするほど自分の意見はなくなっていくというのはツライことでもあり、おもしろいことでもあるわけですね。

そうしたことは、「人と違う意見を持とう」とか「人と違う考えを持とう」という単純な教育とは違って、もっとツライことなんですよね。そして多様化は決して多様な考えを持ち、多様な意見を述べるための教育の先にあるわけではなく、古典を学び、今までの考え方を学ぶべきです。そのうえで、違う意見が出てくるのだと思います。こうしたことが軽視されているとすれば、教育上よくないな思うわけです。

 

他の人との違いはほんのちょっとだと思う

他の人との違いを出すといっても、ものすごく違うなんていうことは無いわけですよね。そうした中で出てくる違いというのは、ほんの少しです。でもそのほんの少しが多様な社会を構成するんではないかなと思うんですよね。

今の多様性で言われている事は、大きな違いを認める、人と異なることを認めるということが言われすぎていて、人と異なることをすることが目的になっていると思うのです。

人と異なるこというのは、最終的に出てくるわけであって、最初から異なるわけでは無いわけです。過激な発言をすれば人と異なる、そしてそうした過激な発言も受け入れるというのは、表現の自由の問題でたびたび議論されますが、そもそもがそうした過激な発言の内容に根拠がないわけですよね。

つまりただ過激な発言をしたいだけになっているわけです。勉強した結果、発言した内容が過激であると指摘されているわけではないのが問題だと思っています。

人と同じことをするから多様化できる

そんなことで何が言いたいかというと、結局最初から人と違うことをすることで、多様化するわけではなくて、人と同じことをした後に多様化できると思うんですね。

人と同じことをしないまま「俺はオリジナル」となってしまうと、たとえば最近出てきた金儲けをする中学生のような形になるわけです。あの状態でビジネスの土俵に上がって勝ち続けられることはまずありえません。

ただ人と違うということをやっているだけであり、しかもその違いは中学生という属性の中でしか語れないものです。人と同じことをやり続けた先の苦しい多様化を経験しなければ、その後も生きていけないのではと勝手ながら心配しています。

 

www.gerge0725.work

 

 

まとめ

なんだかんだ長々と書いてしまいましたが、人と異なる意見や考えというのは思った以上に大変なことなんですね。苦しみの先にちょっとした違いがあるのが多様化であり、多様な社会ではないのかなと思います。こうしてできあがった社会であれば、多様であったとしてもある一定の枠組みを共有しているわけですから、議論が成立するのではないかと思うんですね。まぁこの考えに関しては理想論かもしれませんが。

 

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