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「正しさの暴走」を「正しさ」で止めることはできない

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「正しさの暴走」という問題が話題になっている。みなが「正しい」と思っている選択をしたのに結果は良くないものになっているというのである。

恐ろしいことに、松井君が来なくなるという結果に対して、関わったすべての人間が「正しい」と思っているのだ。女子たちは正しく糾弾したと思っているし、担任も良い教育ができたと考えている。僕だって、あの状況では何もできないし、逆効果だったと何もできなかった自分を正当化している。

誰かが悪意をもって悪事をしているのなら、これほど単純なことはない。問題なのは、「正しさ」が暴走する状況なのだ。 

正しさが暴走するこのインターネットは早急に滅ぶべきである|Pato | Dybe!

しかし、こうした議論は何も新しいものではない。ここでいう「正しさ」は思考停止状態である。ひとつの方向へとただ向かっているだけ、それが本当に正しいかどうかを考えて決定しているわけではないのである。

こうした事例を考える際に思い出すのでは、「イェルサレムアイヒマン」である。彼は上の命令でユダヤ人の虐殺に加担するのだが、そこには考える要素は存在しない。ただ上の命令に従うという「悪の凡庸さ」が存在しているのである。

「正しさの暴走」を「正しさ」で止められるのか?

べつに以上のようなことを言っているからといって、「普遍的な正しさをもう一回獲得しましょう!」みたいなことは思わない。「正しさの暴走」論に人びとがこれほど共感するのは、素朴に「ひとつの正しさ」を信じられるほど愚鈍ではないからだ。自分もそうだ。揺るがし難いひとつの「正しさ」はほぼ存在しないし、存在するとしてもあまりに明白で揺るがし難いために、かえって使うには不便なのではないかと思う。だから、せいぜい「それなりに共有可能な、機能する正しさ」をつくっていきましょう、くらいのことしか言えない。

「正しさの暴走」は「正しさの不在」である|imdkm|note

こちらタイトルは「正しさの不在」となっているが、では「正しさ」とは何かということになると途端に筆が鈍くなる。つまりひとつの「正しさ」などは存在しないからだ。ということは「正しさ」で「正しさの暴走」を止めることはできないのではないだろうか。

「正しさ」は常に多様である。であるがゆえに、ここが「正しさ」を主張しても解決しないとなると、多数決か暴力かという話にもなる。ここで「理性」を持ち出すことも考えられるが、「理性」を持ち出すとますます分からなくなるだろう。

「正しさ」を多数決で決めることができるのか

「正しさ」を決める一つの方法が多数決だ。しかし、これは前述した「正しさの暴走」を止めることはできないし、それが正しいとさえ証明する根拠にもなりうる。こうした問題は戦争の問題でも常に起こりうる。

また多数決で「正しさ」が決まるのであれば、マイノリティーは永遠に「正しさ」を獲得することができない。そこで考えなければならないのはやはり「正しさ」そのものなのである。

「正しさ」の根拠になるものはない?

「正しさ」が存在しないとすればどうすればいいのか。ひとつは「正しさ」を育てるという方向だ。こういうと日本では道徳教育を思い浮かべるかもしれないが、そうではない。前述した「正しさの暴走」はそもそも正しくないことだとできるのだろうか。

皆さん、マイケル・サンデルを読んだことがあるだろうか。読んだことが無くても白熱教室は聞いたことがあるだろう。サンデルは「正義」を「共通善」=「全体への配慮」としている。ここでいう「正義」は「正しさ」と同じ意味で考えられ、「全体への配慮」が持てるように「正しさ」を育てるという話になる。

しかしこれは行き過ぎると共同体的な「正しさ」になってしまい、前述した教室で起こったことと変わらなくなってしまうのではないだろうか。まさしく彼らにとって学校が共同体なのである。

そうか、やはり「正しさ」の根拠になるものはないのだろうか。しかし、考えてみれば分かるが「正しさ」が多様である以上、他者との間で「正しさ」を共有していくしかないのかもしれない。前述した「正しさの暴走」を止めるのは「正しさ」ではなく、「正しさ」を共有するプロセスなのかもしれない

人間の脳には、生まれつき正義のアルゴリズムが実装されているわけではありません。正義は社会のなかで学んでゆくものであり、他者とともに創造してゆくものなのです。ロールズが希望を持っているように、人間には感受性と共感能力と理解力があるからこそ、不正を感じ、正義を欲するのではないでしょうか。

神島裕子.正義とは何か現代政治哲学の6つの視点(中公新書)(Kindleの位置No.2922-2932).中央公論新社.Kindle

 

正義とは何か-現代政治哲学の6つの視点 (中公新書)

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まとめ

結局、「正しさの暴走」は「正しさ」で止めることはできない。しかし、それは「正しさの暴走」ではないかと、お互いが認識できるかどうかが重要なのだと思う。「正しさ」は常に変わるし、ひとつでもない。しかし、その共有のプロセスは重要である。前述した「正しさの暴走」は少なくとも事後的には暴走だと認識されているのである。人間はおろかである。そこからしか「正しさ」への道は開かれていないのかもしれない。そんなことを思ってしまったのである。

  

サンデルの政治哲学?<正義>とは何か (平凡社新書)

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